株式会社WADAYAは、2025年6月26日に創業10周年を迎えました。
これまで関わってくださったすべての皆さまに、心より感謝申し上げます。
この10年間、WADAYAは決して順風満帆だったわけではありませんでした。
むしろ、無謀で無計画とも感じられるような挑戦を、繰り返してきたように思います。
10年を振り返り、「どうしてWADAYAは生まれ、今があるのか」そして、社会情勢も不安定なこの時代に、「これからどう歩んでいくのか?」
少しだけお話しさせてください。
▼『映像制作会社』をやろうと思っていたわけではない
創業当時、映像業界は過渡期にありました。
まだ大きな制作会社が主流で、小さな会社やフリーランスという働き方が少しずつ、浸透してきた頃。
私が進んでやっていた“ミニマル撮影”や“ワンストップ制作”を得意とする会社は少数派で、
周りから馬鹿にされることも多かったように思います。
前職のプロデューサー業の中で行っていたのは、映像制作をもっと身近にするという役割。
そのノウハウが自然と身についていた頃「今、そういう制作を求めている」と声をかけてくれる人たちが現れたのです。
数ある制作会社の中から、WADAに仕事を頼みたいと言ってくれた方々の声 ———
それが、「和田家(WADAYA)」のはじまりです。
正直、きっかけは “期待に応えたい” という想いだけでした。

▼仲間との出会いが、会社を育ててくれた2年目の創業
創業当初、社員はいませんでした。自由な時間も増え気持ちも軽やか。
現場はフリーランスや同業他社の仲間と協力しながら、少しずつ信頼と経験を積み上げていきました。そこでいろいろな人とも出会いました。

こんな小さな会社の社員になってくれた人もいました。最初の正社員です。
とある現場で出会った一人のカメラアシスタント。
学校を卒業したばかりで、フリーランスとしての不安を抱えながらも、真剣に前を向いていました。
最初はそんなフリーランスの力になりたいという、自分の考えで「撮影がない日は、うちに手伝いにおいでよ」と声をかけていました。
編集業務やプロジェクトマネジメントといった、撮影以外の仕事を教えるようになり、その表情は次第に明るく、笑顔になっていきました。
そして、「ここで一緒に働きたい」と言ってくれたとき———
こんなに嬉しい気持ちを感じたことはありませんでした。
“誰かのため”にしていたつもりが、気づけば、それが自分を一番喜ばせてくれていたのです。
当時「人を雇うなんて無謀だ」という声もゼロではありませんでしたが、
こうして社員を迎えてたことで、WADAYAは初めて、本当の“会社”になったのだと思います。

▼ボロマンションの1Fに作ったスタジオという城
社員を雇ったのに、思うように売り上げが上がらない。
「仕事が無い」という日々が続きました。
小さな机でやることがなく、無言でいる時間は、長くて本当に辛かったのを覚えています。
そんな時、以前から考えていた「自社のスタジオを作る」という決心をしました。
物件を何件も周り、今の場所にたどり着きました。
「ここしか無い!」という直感がありました。

図面やデザインはすべて自分で描き、壁を壊し、床を張り替え、
何もないところからスタジオを作り上げました。『WADAYA STUDIO』の誕生です。
最低限の資金で抑えるために、仲間に協力してもらいながら手作業で進めたので、愛着もあります。「夢」が詰まった空間ができたことで、仕事の流れは確実に変わっていきました。
★みんなで白ホリの塗装をする映像★
https://youtu.be/nnY8MY5nQvY
▼仲間が増え「やればできる」「想いは届く」が自信に繋がった3年目
スタジオができたおかげで仕事も以前より増え、忙しくなってきた頃。
それに伴い、仲間も少しずつ増えていきました。

人が増えれば、当然仕事も増やしていかなければならない。
みんなで「数字を意識して働く」というようになるまでには、いろんなこともありました。
必死で働いて、勢いもあったこの頃。5名体制での運営でした。
ぶつかったり、喧嘩したりもありましたが、みんなの「向かう気持ち」が一緒だったからこそ、
団結力が生まれ、強くなっていったのだと思います。
そんな中、目標を達成できるようになり、周囲からの期待や信頼も少しずつ高まっていきました。

▼コロナの教訓
こうしてすこしずつ成長を続けていた頃、コロナ禍がやってきました。
今となっては、WADAYAにとって貴重な経験だったとも思えますが、当時は案件が飛び、撮影現場にも行けず、不安と行き場のない怒りで押しつぶされそうになっていたのを覚えています。
どうすることもできず、悔しさで泣いた日もありました。
それでも、一緒に泣いてくれる仲間がいた。支えてくれる仲間がいた。
だからこそ、立ち上がることができました。
少ない資金を、運転資金には回さずに投資に賭けて、なんとか息を吹き返しました。
本当に「なんとか耐えた・・・」いう感覚でしょうか。
おかげさまで、お客さまにもたくさん喜んでいただけたと感じています。

『“守る”より“攻める”!』
そんな思いが強まり、第二スタジオの構想がこの頃から生まれていました。
そして、ちょうどそのとき、隣の物件がたまたま空いたのです。
ただ、その頃、いわゆる「コロナバブル」は終焉を迎えようとしていました。
気づけばチームは、最大で9名にまで増えていました。

▼8年目にゼロから始める。
コロナの終わりが見えはじめ、少しずつ日常が戻ってきた頃。
第二スタジオ『Studio80』の計画が動き出しました。
ですが、仕事はなかなか増えず、「次の一手を打たなければ」と焦る日々。
資金もまったく余裕がない中で、物件だけは借りてしまい、ただ空き家の家賃を払い続ける毎日が続きました。
それでも、力をあわせて新たなスタジオが完成した時
「まだいける!」という手応えもあり、期待も膨らんだことは覚えています。

———しかし、なかなかそううまくはいきませんでした。
すべてが後手にまわっていたと思います。仲間の想いを一つにして作ったスタジオを活かせる準備も。組織としての体力をつくるための準備も足りなかった。
そんな中、数人の仲間が、それぞれの道を選び、旅立っていきました。
新しいメンバーを迎えては、また辞めていく。そんな時期もありました。
引き止めることも、その理由も力も自分にはなかったと感じています。
その後もずっと、WADAYAはどんな形がいいのか?どんな体制がベストなのか?
模索する毎日が続きました。
▼WADAYAを続ける理由
今いる仲間ともう一度、考えました。
「WADAYAらしい仕事って、何だろう?」
「今の仲間が、WADAYAで働く理由ってなんだろう?」
「お客さまが、WADAYAに仕事を依頼する理由はなんだろう?」
たぶん、これらは永遠の課題です。
時代が変わりゆくなかで、常に考え続けなければならない。
その答えは完全には出ないと思っています。
この10年で、映像を取り巻く環境も大きく変化しました。
求められることも、提供する側が意識すべきことも、どんどん新しくなっています。
もちろん、新しいニーズに目を向けることは必要です。
最新の技術や流行を取り入れることも、時代に合わせて変化していくことも大切です。
でも一方で──
先人たちが築いてきた、古き良きものを守るという想いも、確かにある。
今、映像の仕事に携わっている多くの人が、
そんな「変わらなければ」という想いと、「守りたいものがある」という想いの、
あいだで葛藤しているのではないかと想像しています。
特に、エンタメ要素を含んだプロモーション映像のようなものは、
視聴者の感情を動かし、行動につなげる力があります。
その重要性を理解していても、景気が悪くなると真っ先に削減対象になる──
そんな宿命を持つジャンルでもあると感じています。
私たちは、そんな時代だからこそ、譲っていいことと、譲れないことを見極めたい。
そして、誰もが簡単に映像を手にできる時代だからこそ、
「本物の映像」を届けることにこだわりたいと思っています。
心を動かす映像というメディアを仕事にしていることに、
私たちは特別な想いを持っています。
そしてその想いは、これからもっと強くなっていく気がしています。
10年続けてきた今も、会社はまだまだ不安定で、
やりたかったことのほんの一部しか実現できていません。
だからこそ、まだまだやれることがある。
これからも皆さんと一緒に成長していきたいと思っています。
どうか、どんなことでも相談してもらえたら嬉しいです。
だからこそ、10年を迎えた今、もう一度原点に立ち返り、
新たなスタートを切ろうと決めました。
▼人と人のつながりが、WADAYAの力
10年を振り返って、強く思うこと。映像制作においても、会社の経営においても、
結局大事なのは、『人と人のつながり』だということです。
「面白いことをやる!」というのは、自分や自分たちが楽しいからだけじゃない。
それを見てワクワクしてくれる人が、自然に生まれていくから。
そして、そんな人が、WADAYAの存在を通じて一人でも多く増えてくれる──
その可能性を信じているからです。
無謀だと言われても、走り続けなければならないと思っています。
我が命尽きるその日まで、もっと柔軟で自由な発想を。
もっと面白く、笑顔が絶えない現場を。
そして、喜ばれる作品を──
これからも作り続けていきたいと思っています。
ゼロから始めた会社が10年を迎えました。
そして、今日またゼロから──

これからもどうぞよろしくお願い致します。
株式会社WADAYA
代表取締役 和田 圭介











